今回は奈良県にある、続日本100名城のお城巡りです。
近鉄榛原駅っていう田舎駅から、さらに路線バスで20分も進むという僻地にあるお城です。
目次
宇陀松山城(続日本100名城)
南北朝期に築かれた山城。宇陀郡の国人(こくじん|その土地の住民)秋山氏の居城が前身のようですね。
宇陀松山城へのアクセス
・マイカーの場合
国道166号線に沿って宇陀方面へ向かいましょう。
「拾井(ひろい)」交差点に、道の駅「宇陀路大宇陀」があるので、そこを起点にすれば便利です。
トイレやお土産、レストラン、バス停など、広くて新しいという訳じゃないですが使えます。
・公共交通機関の場合
道の駅「宇陀路大宇陀」が、奈良交通バスの「大宇陀」停留所を兼ねています。
出ているバスは2系統。
71:桜井駅南口 ← → 大宇陀
JRも近鉄もある桜井駅は便利なのですが、このバスは1日5本という少なさ・・。
でも時間が合えば、空いてますし使えますよ。(小型のバスです)
1,2:榛原駅 ← → 大宇陀
近鉄榛原駅は駅前にマンションも建つほどのベットタウン。
大宇陀からも平日なら1時間に2、3本、土日なら1時間に1本程度運行しています。
このような1日の本数が少ない田舎を走っているバスは、県などの助成金を使って運行しています。
利用者が多いほど路線の確保に繋がって、地元や観光客に還元されます。
よくニュースであるような、廃線が決まってから利用しに行くのではなくて、廃線にならないように日頃から使っていこうと心に決めました!
宇陀松山城への登城道
宇陀松山城は山城です。
山城って言うと、「あー登山か、しんどいな」と思いますけど、ここは比較的楽ちんですよ。
出発点は、国道166号線からちょっと入った重要伝統的建造物群保存地区にある「千軒舎」という、観光案内所みたいなところ。宇陀松山城に関するちょっとした掲示もありますよ。
この建物の裏口から出て奇麗で舗装された道を登っていきます。
距離にして600m、標高差は約100m。20分程度で天守閣跡まで登ることができますよ。
スタンプ設置場所
場所:松山地区まちづくりセンター「千軒舎」
開館時間: 9:00~17:00
休館日 :年末年始+臨時休業あり
入場料 :無料
宇陀松山城の遺構
宇陀松山城は南北朝時代からと歴史は長いですけど、戦国時代には大和国の中心「大和郡山城」の支城扱いで、それほど著名な人物が出てこなかったので、遺構を味わって登ってみました。
かなり急で高い内堀が見られますね。
ほかにも残っている石垣や曲輪などは分かる程度に残っています。
一番上には本丸。そしてもう一段高く天守台跡があります。
山城ということもあり面積はそれほど広くないので、本丸に建てられた建築物も効率の良い形なんでしょうね。
本丸や天守台からの眺望は抜群です。
「大峰山脈が眺望できる宇陀松山城跡」で奈良県景観資産となってます。
山城を歩くときは等高線付きの城郭図と、iPhoneの標準アプリの「コンパス」が必須ですね。
小堀遠州|宇陀松山城の廃城を担当
著名な人物は出てこなかったと書きましたが、鎌倉繋がりで小堀遠州の名前を発見しました。
宇陀松山城を廃城にするときに小堀遠州らが破却したとのこと。
小堀遠州の父が、大和国を中心に治めた豊臣秀長の家臣だったため郡山に居たんですね!
続日本100名城(3/100)
この宇陀松山城で、続日本100名城は3城目になりました。
大好きな奈良県のお城は、日本100名城の高取城も含めて、全城踏破。
でも、高取城へ行ったときは、今日のように歴史の知識があまりなかったので時間が有れば再度行ってみても楽しめそうですね。
大宇陀地区
折角時間をかけて大宇陀地区まで来たのなら、宇陀松山城だけで終わらすのは勿体ないですね。
路線バスの待ち時間もあったので、下記の場所にも足を運んでみましたよ。
松山地区伝統的建造物群保存地区
近世城下の商家町から在郷町へ変遷した場所。
今のように車や電車が無かったころは、この宇陀地区は交通の要所だったんですね。
そして、宇陀紙、吉野葛などの特産品で商業活動を発展させたと。
また、8代将軍徳川吉宗が派遣した採薬使(さいやくし|国内の薬草調査人)の目に留まって抜擢された森野藤助が造った薬草園は、今、森野旧薬園で国史跡となってますね。
かぎろいの丘万葉公園(阿騎野)
国道166号線の西側。
丘の上には万葉集ゆかりの柿本人麻呂関連の公園がありますよ。
柿本人麻呂が軽皇子(文武天皇)のお伴で来た時に詠んだ歌の碑が残っています。
ここで、かぎろい(陽炎)を観る会が年に一回行われるそうですよ。
広くて入園無料の公園です。公園下には駐車場も完備してます。
奈良駅から宇陀市大宇陀地区は遠そうでしたが、桜井駅乗り換えのバスに合わせるとそれほど時間もかかりませんでしたよ。
計画では室生寺と宇陀松山城を一日で巡ろうと思ってましたが、さすがにそれは無理でした・・・。
それはそうと、大宇陀とか阿騎野とかの場所をしっかり把握できるようになったのは収穫でしたね!