今回は富山県高岡市にある高岡城跡へ行ってきました。
目次
高岡城(日本100名城 No.33)
高岡市は前田利長によって繁栄した場所で、日本遺産にも「加賀前田家ゆかりの町人文化が花咲くまち高岡 -人、技、心ー」で認定されています。
高岡城(高岡城址公園)へのアクセス
高岡城はJR高岡駅から歩いて約15分程度の場所にあります。
途中に「高岡大仏」などもありますから、歩いて行くのが楽しいと思います。
電車の最寄り駅は2つ
JR氷見線「越中中川駅」
電車の本数がかなり少ないので、あまりお勧めはできません。高岡駅から歩いたほうが早いです。
万葉線「広小路駅」
電車の本数は15分に1本出てて利便性は良いですが、駅から高岡城址公園までちょっと離れています。
高岡城 スタンプ設置場所
高岡市立博物館
高岡市立博物館 公式HP
開館時間:9:00~17:00(入場は16:30)
休館日 :月曜日、休祝日の場合は翌日、年末年始
入館料 :無料
※閉館時は博物館の外に移動するので24時間押すことができます
ここの博物館は見ごたえ十分です。
真剣に見ようとしたら2時間は平気でかかると思います。
高岡城の見どころ
前田利長の隠居城
2代前田家「利長」は、初代前田家「利家」の長男。
高岡城は前田利長の隠居城として築城された。
一国一城令で廃城
1605年 富山城へ隠居したが火災により焼失。
1609年 新しく高岡城を築城。
1614年 前田利長が死去
1615年 一国一城令で廃城(元和元年) ※日本城郭検定の必須知識
このような感じで、入城期間も短く、廃城の為、石垣や堀しか残っていません。
絵筆塔
藤子F不二雄先生の出身地は高岡なので、それにちなんでか、高岡城址公園の動物園内に絵筆塔が建っています。(藤子不二雄A先生の出身地は富山県氷見市)
これは鎌倉市にある荏柄天神社に建てられた「絵筆塚」と全く同じものです。
鎌倉市が銅の鋳造技術で有名な高岡市に発注し、同じものを作り高岡市にも設置したらしいです。
アニメ、漫画で繋がった、鎌倉市と高岡市の御縁が発見できますね!
鎌倉の荏柄天神社じゃないですよ😊
— kagolabo@鎌倉 (@KagolaboJp) September 18, 2020
高岡にある絵筆塔。
こういう発見はホント楽しい。#高岡 #絵筆塔 pic.twitter.com/VvI6JHbs63
高岡市街にはゆかりが沢山
高岡城が一国一城令で廃城になってからも、3代前田利常は高岡市街を保護したので、寂れることなく今の高岡市に受け継がれているんですね。
地名から昔を感じる
高岡城址の周辺にある町名「古城」
— kagolabo@鎌倉 (@KagolaboJp) September 18, 2020
格好いいよね!
鎌倉で言うと西御門かな😊#高岡 pic.twitter.com/o8yGyqQqZX
菩提寺瑞龍寺と前田利長の墓
高岡城址公園の南側、JR高岡駅と新高岡駅の間に、絶対に足を運びたい場所があります。
前田利長の菩提寺「国宝 瑞龍寺」と、戦国武将としては最大級と言われる墓、それをつなぐ直線の八丁道です。
これらは、廃城した後の高岡市街は軍事拠点としての機能は密かに維持されてたようで、南の防御拠点としての立地も。そんなことを考えながら歩くと楽しいですね。
国宝 瑞龍寺
八丁道
前田利長の墓
日本城郭検定 過去問題
縄張りは高山右近(キリシタン大名)
高岡城に関する問題はこの内容が頻出。
高山右近は秀吉のバテレン追放令で苦しい状況になるが、1588年に前田利家が金沢に招いて客将となった。
金沢城下の内惣構を指揮したのも高山右近。
縄張りは馬出しが連続に並ぶ防御の高い構成。
前田利常(利長の異母弟)の隠居城は「小松城」
3代の前田利常の隠居城は「小松城」です。
小松城は日本100名城でも、続日本100名城でもありません。
高岡城と縄張りの共通性が指摘されている城は「富山城」
前田利長が高岡城を築城する理由は、富山城が火災で燃えてしまったから。
共通性が指摘されるのに不都合はありませんね。