徳島城|城山に築いた蜂須賀氏の拠点

徳島城|城山に築いた蜂須賀氏の拠点
2020-02-13
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今回は徳島県徳島市にやってきました。
お遍路さんが目的なんですけど、徳島城にもやっぱり行っておかないとね!

徳島城(日本100名城)

阿波国、徳島藩は支配者がコロコロ変わっていきましたが、最終的には蜂須賀氏が長く支配していたので、博物館をはじめ、蜂須賀氏ゆかりのモノばかりが残っています。

徳島城へのアクセス

徳島城は天守閣だけでなく櫓すら残っていません。石垣はありますけどね。
天守閣があった城山は標高61mと小さくて、徳島駅の駅ビルに隠れちゃってて目立ちません(汗)

立地はJR徳島駅の裏側にある徳島中央公園
ただし駅から直接は行けなくて、線路沿いをちょっと歩いて公園の両端から入るような感じになります。

まあまあ、面倒くさい距離です。。。

徳島城 スタンプ設置場所

場所:徳島城博物館(徳島中央公園内)

開館時間:9:30~17:00(入館は16:30まで)
休館日 :月曜日(祝日は開館)、祝日の翌日、年末年始、他
入場料 :300円(大人)

徳島城の歴史

徳島城の歴史は蜂須賀氏ばかり取り上げられますが、鎌倉時代まで遡ってみましたよ。

・鎌倉時代

鎌倉幕府が全国に守護・地頭を任命した時代ですね。
阿波国は昔、伊予国の地頭が支配していたようです。支配ラインとしては下記の通り

伊予国守護「宇都宮氏」 - 伊予国地頭「河野氏」

今でいうと、守護は総監督、地頭は現場監督って感じでしょうかね。
宇都宮氏は鎌倉(本社)に居て、河野氏は伊予・阿波(現場)にいました。

・室町時代

観応の擾乱(観応元年に起きた足利尊氏兄弟の派閥争い)で、足利尊氏軍に属して四国に下向し南朝方と戦い勝利した守護大名「細川頼之(1329-1392)」が支配し始めた。

細川頼之は室町時代の守護大名。室町幕府管領。三管領の一つ。

・戦国時代

戦国時代、まずは長宗我部元親によって阿波が平定。
その後、豊臣秀吉の四国征伐で勲功のあった蜂須賀氏が阿波1国を賜る。そこからずっと蜂須賀氏と。

小さいころに信長の野望をやってた自分としては、四国は長曾我部元親なんだけどな。

ちなみに蜂須賀氏は尾張国蜂須賀郷を拠点とした国衆。
以前は斎藤道三に仕えたようです。大河ドラマ「麒麟が来る」で登場してこないかな。

徳島中央公園(徳島城跡)

蜂須賀家政公の銅像がある徳島中央公園は、出入り自由の開かれた公園。
早朝は、ご年配方のお散歩、通勤通学の皆さんが速足で歩いていますよ。

・天守は本丸じゃなくて「東二の丸」

下記の徳島城跡の案内図を見て分かるように、本丸には天守がなくて、天守は本丸から少し下がった「東二の丸」にあります。※日本城郭検定 過去問

徳島城跡の地図を見ると北側がに助任川が堀の役目をしてますね。
南側にも寺島川があったみたいですけど、今はJR高徳線になってます。埋め立てられたのかな。

こうやって昔の地図と今の地図を比較してみるのって楽しいですよねー。

ちなみに、お城の建物は明治初期の廃城令と第二次世界大戦の空襲でほとんど残っていません。

徳島城跡の城山を登ってみる

標高61mの城山を登っていくと、途中に西二の丸跡各種櫓跡などが見られますね。
あんまり人が登らないのか、結構寂しいハイキングでした・・・。

夜は気持ち悪いやろな(汗)

山頂の広い本丸跡からは、目の前に眉山(標高290m|とくしま88景)を見ることができます。
向こうの方が存在感あるけど・・・。

今回は西坂口から登って東坂口へ降りてくるルートでした。
道中のほとんどが石段なので歩きにくいですけど、距離も短くてそれほど大変じゃないですよ。

本丸跡から水の手番所へ降りるルートも見つけたんですけど、今回は断念。

旧徳島城表御殿庭園

お城跡を見た後は、名勝に指定された「旧徳島城表御殿庭園」を見た方が観光地を訪れた感がでますね。
入園料はたしか50円だったかと。

阿波徳島藩を収めた蜂須賀家の徳島城表御殿に造られた庭園。

旧徳島城表御殿庭園

作庭は茶道「上田宗箇流」の祖、「上田宗箇」。また新しい人が出てきたぞ。

・上田宗箇(うえだそうこ)

1563-1650年。安土桃山時代の大名。茶人。造園家。
茶道は、千利休と古田織部に学び、その後上田宗箇の流祖となる。

豊臣秀吉の家臣。関ヶ原の合戦後に大名庭園を造営。
代表作:徳島城表御殿庭園(徳島藩)、和歌山城紅葉山庭園(紀州藩)、名古屋城二の丸庭園 など。

徳島城では、蜂須賀氏とか上田宗箇とか、知らない名前のオンパレードで、 鎌倉と徳島の繋がりは浅かったですね。 。。

四国出身とかだったら、ここから広げて行くんでしょうけど、今のところは頭の片隅に仕舞っておくくらいな感じでしょうか。