小机城|太田道灌に攻め落とされた城

小机城|太田道灌に攻め落とされた城

2020-01-22

今回は小机城について。
港北区にありますが、鎌倉視点で見て行きたいと思います。

小机城(続日本100名城)

続日本100名城が選定されて、神奈川県では新しく2城。
そのうちの一つが小机城です。日産スタジアムの最寄り駅「小机駅」から徒歩15分くらいです。

城跡といっても、遺構として残っているのは地形(空堀とか曲輪跡)だけでしょうか。
櫓はもちろん、石垣すら全く見当たりません。

でも、案内板も設置してあるし、コンパクトで分かりやすく、初心者向けのお城かもしれませんね。

スタンプ設置場所

場所:横浜市城郷小机地区センター

JR横浜線「小机駅」を出て右側へ300mほど歩くと見えてきます。
入ってすぐにスタンプ台と小机城址ガイドマップが置かれてますよ(無人です)

開館時間:月~土 9:00~21:00
     日・祝 9:00~17:00
休館日 :第4月曜日(祝日の場合は翌日が休館日)

享徳の乱(1454年|享徳3年)

では、小机城の歴史を軽く見て行きましょう!
メインは「長尾景春の乱」なんですが、大きな流れで言うと「享徳の乱」の枠に入ります。

享徳の乱は、下記の戦い。

足利成氏(鎌倉公方→古河公方) vs 関東管領 上杉氏

鎌倉公方の足利成氏が、鎌倉西御門で関東管領 上杉憲忠を誅殺。全面戦争へ。

足利成氏は鎌倉を出て、北へ逃げる上杉方を追跡して下総国古河に着陣。古河公方の誕生ですね。

しかし、室町幕府側が味方したのは、関東管領上杉氏。
室町幕府側は、あたらしい将軍を関東へ下向させるけど、鎌倉へ入れずに伊豆の堀越に留まると。

今度は堀越公方の誕生ですね。

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今回は鎌倉を離れて、執権北条氏ゆかりの伊豆へ足を運びました。北条氏は伊豆国出身の豪族で、鎌倉幕府の執権職を世襲した一族ですね。 執権北条氏の起源と源氏との関係 …
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そんな関東管領上杉家が政局的には有利と思えるところに、家督争いの内紛が起こるんですね。

長尾景春の乱(1478年)

小机城が表舞台に出てくるのは、長尾景春の乱でしょう!
って全然知らない。。教科書にも出てこないと思われますが・・・。

でも、この戦いには鎌倉が誇る有名人「太田道灌」が関わってきますから、これを軸にすれば頭に入りやすくなりそうです。

長尾景春 vs 関東管領 上杉氏

長尾景春の父(長尾景信)は山内上杉氏の家宰。
父が没したのち、家宰は自分が継ぐと思ってたら、なんと父の弟(長尾忠景)に。

これに長尾景春は不満を抱いて、鉢形城を拠点にして山内上杉氏へ反旗を翻すと。
簡単に言うと、良くある身内の権力争いですね。

長尾景春に味方する人も多かったようで、山内上杉家は苦戦。
その危機を救ったのが、扇谷上杉家の太田道灌だったという流れですね。

もう、ここら辺の関東はめちゃくちゃです。

小机城での戦い

この戦いのメインは、鉢形城のある埼玉県。
でもこの室町時代後半の関東は広範囲で戦国時代の先駆けの争いがあちこちで起きたんですね。

神奈川にある小机城では、

矢野兵庫助(長尾景春派) vs 太田道灌(関東管領上杉氏派)

と、長尾景春に味方した人物と太田道灌が戦ったようです。
太田道灌はやり手ですから、太田道灌側が勝利しました。

その後の小机城

その後は、北条早雲がこの城を攻め落とし、一時廃城するも、再興。

豊臣秀吉が小田原城を攻め落としたのちに廃城になったようですね。

室町時代中期から始まり、戦国時代の早い段階で廃城なので、多くの日本人が想像する天守閣を持ったお城とは違ってそうですね。

小机城の遺構

小机城址は現在「小机城址市民の森」っていう公園になっています。
竹が生えてて道も整備されて、曲輪も広いスペース、ベンチや、お手洗い(一か所)などもあります。

本丸や二の丸の案内板が設置されてますが、資料や発掘調査等が少なくて、正確な場所は分かってないそうです。

櫓台とかの場所も想定ですが、高台で空堀に囲まれて周りをよく見渡せることが分かるので納得はできますね!

・小机城をYouTubeで見てみる

日本城郭検定 過去問題

小田原北条氏の属城で城代は笠原氏

2級の過去問に出題されました。
太田道灌付近の知識に偏りがちですが、小机城の後半部分もしっかりおさえておかないとダメですね。

小机城案内板

お城巡りに役立つ本