今回は長崎県の島原半島へ。
ここはお城そのものより、キリシタンというストーリーが面白いですね。
島原城(日本100名城)
雲仙普賢岳で有名な島原半島。
長崎県にありますけど、実は熊本市街(熊本港)からフェリーを使うと便利ですね。
島原城へのアクセス
島原城の最寄り駅は、島原鉄道の「島原駅」です。
熊本港からフェリーで来た場合は、島原鉄道の「島原外港」駅から4駅ほどで150円。
30分に1本程度の割合で運行してますよ。
・熊本港←→島原港 : 熊本フェリー(高速フェリー) 、九商フェリー(のんびりフェリー)
・島原鉄道(HP)
そこから徒歩で10分くらいですね。駅から島原城は見えていますよ。
駅からは緩やかな登りが続きます。
車の場合は西の大手門側(島原駅と逆側)で駐車料金を支払って、本丸にある駐車場に向かいます。
島原城 スタンプ設置場所
場所:島原城受付窓口
開館時間:9:00~17:00
休館日 :年中無休
入場料 :550円(大人)
築城主は松倉重政
さて、この島原城。
もともとはキリシタン大名の「有馬晴信」が本陣を構えていましたが「岡本大八事件」など、もろもろあって、代わりに松倉重政が移封されてきました。
松倉重政(1574?年-1630年)は奈良所縁の人。
大和郡山城主の筒井順慶に仕えて、後の大和五条藩主になった人ですね。
一揆軍との戦い
でも、松倉重政はあまり良くなかった。。。
たった4万石の領地に島原城っていう凄い立派なお城を、農民の過酷な労働を用いて造ったために反乱の火種を生むんですね。
これが島原の乱を起こすきっかけとなってしまうと。
ちなみに島原藩(肥前日野江藩)には、原城と日野江城(ともに南島原市)にあったんですけど、1615年の一国一城令でこれらを廃止して、新しく島原城を作ったというのが流れです。
天守閣内はキリシタン資料館
江戸幕府が1621年にキリシタン弾圧を始めるんですけど、南蛮貿易の利益もあって対応が甘かった松倉重政。
徳川家光にそれを指摘されて、めっちゃ怒られてからは弾圧に本腰を入れ始めて、雲仙地獄での熱湯拷問などめちゃくちゃな対応。重政の子も弾圧を引き継いで、ついに1637年島原の乱勃発です。
島原城の内部にはキリシタンの資料がたくさん展示されています。
5Fの天守閣からは、島原市内や雲仙普賢岳も見ることができますよ。
近くには武家屋敷
島原城の跡に足を延ばしたいところと言えば武家屋敷。お城から700mほどです。
島原城の外郭の西側。下級武士の住まいがあったところです。
何軒か自由に入ることができますよ。町筋の中央に流れる清水が良い感じを出してますね。
島原といえば「かんざらし」
話はちょっとそれますけど、島原と言えば「かんざらし」という食べ物が有名なんですよね。
小さい団子(団子自体に味は無い)を甘い蜜に付けて食べると。
「銀水」っていうお店のかんざらしが有名なんですけど、今回行けなかったので、島原城にある城の茶屋で頂きました。330円。
めっちゃ美味しいって訳でもないんですけど、素朴で毎日でも食べられる味ですね!
島原城の基本
島原城の城郭構造は「連郭式」
連郭式は、本丸→二の丸→三の丸が並列に並んでいる形。
島原城は本丸(天守)が一番南にあって、北に向かうほど二の丸、三の丸と続きます。
今は二の丸跡に島原文化会館、三の丸に小学校が建ってるのかな?
天守構造は「層塔型天守」です。他には望楼型がありますね。
層塔型は低コストで、あの築城の名手「藤堂高虎」考案だそうです。
いやー、でもキリシタンの歴史はとっても興味深いですね。
日本の世界遺産でもあることだし、もうちょっと構成遺産を訪ねて深ぼっていきたいと思います。