今回は埼玉県大里郡寄居町にある鉢形城へ行ってきました。
築城者は長尾景春(山内上杉家家臣)。築城年代は1476年。
その後、1560年に後北条氏の北条氏邦が大修築したお城。1590年に豊臣秀吉軍によって開城。
江戸時代では藩庁としても使われていないので、前半のお城ですね。
目次
鉢形城(日本100名城 No.18)
鉢形城へのアクセス
・車で
関越道「花園IC」から車で約15分
・電車で
JR八高線・秩父鉄道・東武東上線「寄居駅」から徒歩25分
3つの路線が乗りあっているんですけど、駅周辺は本当に閑散としています・・・。
イーグルバスが鉢形城歴史館まで行ってくれますが、平日は1日6本、土日祝日は1日3本というありさまで・・・。
鉢形城 スタンプ設置場所
・鉢形城歴史館
日本100名城のスタンプは鉢形城歴史館の入口に設置してあります。
拝観料を払わなくてもスタンプを押すことが可能です。
閉館時は駐車場正面入り口右側にある郵便ポストの中にスタンプを設置してくれています!
でもこの鉢形城歴史館は奇麗に作り込んであり、7分間の映像も分かりやすくておススメです。
写真撮影は禁止。
鉢形城歴史館の公式HPはコチラ
日本100名城スタンプの図柄は下記の通り↓
鉢形城の見どころ
本曲輪の南側は荒川の断崖絶壁
鉢形城は本曲輪、二の曲輪、三の曲輪が連なる連郭式。
本曲輪は荒川沿いに接していて、断崖絶壁の鉄壁防御です。ここからは攻めることは難しいですね・・・。
二の曲輪、三の曲輪間の巨大な空堀
曲輪の間には大きな空堀と土塁があります。
今でも結構大きくて急な斜面ですが、当時はもっと大きく深く急だったようですね。
小学校の低学年?幼稚園生?が掘りを滑り台にして遊んでました(笑)
石積土塁や石垣が残る
三の曲輪の奥に石積土塁がありました。
江戸時代の石垣に比べたら規模や技術に見劣りするものの、関東地方でも石垣技術が有ったことや技術者がいたことを示す発見だそうです。
笹曲輪の付近にも石垣跡が残っています。こちらも高さはありません。
山内上杉氏の家臣「長尾景虎」が築城
鉢形城を築城したのは関東管領「山内上杉家」の家臣「長尾景春」
景春が家宰の家督を叔父さんに奪われたから、謀反を起こした人物ですね。長尾景春の乱って名前まであります。
これで、同じく「扇谷上杉家」の家宰「太田道灌」をバチバチに戦ってます。
鎌倉にほど近い横浜市にある小机城もその戦いの一環です。
日本城郭検定 過去問題
平成16年に復元された四脚門
なぜ四脚門だけが復元されたのかは謎ですけど、付近には虎口なども復元されているので防御施設一帯を復元したと思われます。
虎口→四脚門の動線までを気にできる人は一般人でどれくらいいるでしょうか?
鉢形城 その他
JR八高線の計画を変えた
鉢形城は昭和7年4月19日に国指定史跡になりましたが、ちょうどJR八高線が建設計画があって、鉢形城跡を突っ切る予定だったようです。
有志らがそれを阻止して路線変更されたみたいで、地図見てもJRは不自然な形で膨らんでいます。
寄居町にある鉢形城で城活。
— kagolabo@鎌倉 (@KagolaboJp) October 16, 2020
太田道灌vs長尾景春
扇谷上杉氏vs山内上杉氏
その後、後北条氏の拠点
鎌倉ゆかりの人たちで大揉めだな😅#鉢形城 pic.twitter.com/1RsmlIiuMq