江戸城|徳川将軍家お膝元で日本最大の城郭

江戸城|徳川将軍家お膝元で日本最大の城郭

2020-11-10

今回は東京都千代田区にある江戸城へ行ってきました。

江戸城(日本100名城 No.21)

江戸城は江戸時代の名称です。
現在、江戸城跡は皇居になっていて、江戸城のあった場所は皇居付属の庭園という扱いです。

なので、江戸城へ行くには、現・皇居東御苑へ行くことになります。

皇居東御苑(江戸城跡)の公式HPはコチラ

江戸城へのアクセス

皇居東御苑は季節によって公開時間が変わっていきます。
全ての時期でオープンは午前9時なのですが、閉園時間が午後4(冬場)~午後6時(夏場)と変動します。

また、休園日が月曜日・金曜日と、週休二日制です。お休みが多いので要注意です!

そして、出入口が、大手門、平川門、北桔橋門(きたはねばしもん)の3つだけです。
東京駅から真っすぐの「桔梗門」からは入れませんので。

・電車で

地下鉄「大手町駅」

地下鉄大手町駅が「大手門」まで一番近くなります。手口としてはC10、C13bです。

JR「東京駅」

丸の内出口を出て、皇居へ向かって真っすぐ進みます。
そのまま行くと「桔梗門」で入れませんので、内堀通りを右に曲がり「大手門」へ向かいます。

江戸城 スタンプ設置場所

・楠公休憩所/和田倉休憩所(皇居外苑)

上記はどちらも無料の休憩所です。
そして皇居東御苑ではありませんのでご注意ください。東京駅からは和田倉休憩所が近いです。

皇居東御苑は、月曜日金曜日と定休日が多いですけど、こちらの休憩所は原則無休となっています。
※施設利用時間: 9:00~17:00

詳しくは皇居外苑の公式HPにて

江戸城の見どころ

本丸御殿跡(大芝生)

天守台に本丸御殿の説明板が有ります。
広大な大芝生に広大な御殿が有ったんですね。天守閣に近い方から「大奥」「中奥」「表」です。

江戸文化歴史検定で江戸城についてはしっかりと学びますので良く分かります。

天守台

江戸城の天守台跡です。
江戸の2/3を焼き尽くしたと言われる明暦の大火(1657年)以降、石垣は直されましたが、天守閣が再建されることはありませんでした。

幕府財政の節約とか、平和な時代のため不要だとか、いろんな説がありますね。

ちなみに江戸城の石垣は静岡県の伊豆石だそうで、船で運ばせてたみたいです。

富士見多聞櫓

江戸城跡の中で唯一入れる櫓です。
場所的には、本丸御殿の「中奥」、御休息所の真横に位置しています。

富士見なので富士山が見える方向、多聞櫓なので長細い櫓です。

ちなみに、本丸の南にある「富士見櫓」は明暦の大火以降、天守代用とされた三重櫓
関東大震災で倒壊も再建。

日本城郭検定 過去問題

江戸城の天守は3回建てられた

江戸城は、慶長期(1596-1615)、元和期(1615-1624)、寛永期(1624-1645)と3回天守が築かれました。
そして明暦3年(1657年)明暦の大火によって焼失。

江戸城天守復元模型(寛永期)

ちなみに、慶長12-14(1607-09)ごろの江戸城を書いたとされる「江戸始図」は、松江歴史館所蔵の「極秘諸国城絵図」の中にあったことが判明しています。(平成29年)

江戸城には「鉢巻石垣」が見られる

江戸城には土塁の上側だけ石垣を用いた「鉢巻石垣」が、特に南西側に見られます。
石を節約したいけど、建物を建てたい時とかに利用されるっぽいですね。

江戸城 その他

松の大廊下跡

1701年(元禄14年)の赤穂事件(浅野内匠頭:播磨赤穂藩主が吉良上野介:高家を斬りつけて切腹に処せられた事件)が起こった場所。

本丸御殿の表西側に位置しています。※日本城郭検定 過去問

その翌年、1702年(元禄15年)赤穂浪士が吉良邸に討ち入りして吉良義英を討ち取る。

・吉良上野介邸

吉良義中(きらよしひさ)は江戸時代前期の高家旗本。(高家|儀式や典礼を司る役職)
本所の吉良邸(現在の両国付近)へ茶会で来る時を、赤穂浪士は狙って襲い掛かった。

・泉岳寺

港区高輪にある曹洞宗の寺院。
寛永の大火で焼失し、家光の時代に毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の5大名によって現在の高輪の地で再建。

それ以降、泉岳寺と浅野家は関係を持った。
浅野長矩(赤穂藩主)と赤穂浪士が葬られている。

この事件により泉岳寺は有名になり、「それまでは ただの寺なり 泉岳寺」と川柳で歌われた。

徳川御三卿巡り

お城巡りに役立つ本