大阪城|豊臣秀吉が築いた日本三名城

大阪城|豊臣秀吉が築いた日本三名城
2020-02-25
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日本3名城のひとつ大阪城へ行ってきました(他の二つは名古屋城、熊本城)。
見どころの多いお城で一回行くだけでは勿体ないですね。

大阪城(日本100名城 No.54)

今は埋め立てられたりして良く分かりませんけど、大阪城のある場所は上町台地の先端にある自然の要害。
戦国時代以前にさかのぼると、より楽しめますね!

このあたりの知識は「大阪歴史博物館」が詳しいです。

大阪城へのアクセス

大阪城(大阪城公園)はバカでかいお城で、最寄り駅が何駅もあります。。。

でも、大手門から入るとか、セットで「大阪歴史博物館」も行くことを考えると、一番便利なのは地下鉄の「谷町四丁目」駅ですね。

大阪城 スタンプ設置場所

場所:天守閣1Fインフォメーション

開館時間:9:00~17:00(入館は16:30まで)
休館日 :12月28日~翌年1月1日
入場料 :600円(大人)

天守閣に入る前に券売所がありますので、スタンプを無料で押せるかどうかは不明。
が、個人的には観光資源なのだから有料で当然というスタンスでいます。

大阪城の見どころ

上町台地と難波宮跡

大阪城の近く「現中央区法円坂」には、飛鳥から奈良時代にかけての難波宮跡が見つかっています。
今は難波宮跡として、だだっ広い公園になってます。

36代「孝徳天皇」の時代のお話。

この辺は大阪城とはズレてくるので、詳しくは「大阪歴史博物館」や「なにわなんでも大阪検定」を見てもらえればと。

大阪城の前身「石山本願寺」

今、大阪城が有る場所には、戦国時代に浄土真宗の石山本願寺というお寺がありました。

堀や土塁で囲んだ防御施設を持った集落で、仏教寺院が中心なので「寺内町(じないまち)」と言わて自治権を獲得。

1570年から織田信長と戦って負けてしまいます。(石山合戦)

豊臣大阪城

石山本願寺が石山合戦で焼失してから、いろいろあって豊臣秀吉が領有。
そして、豊臣秀吉が大阪城を築くんですよね。

秀吉が死んでからは子の秀頼が継いで、1615年大坂夏の陣(vs 徳川家康)では豊臣家滅亡とともに焼失してしまいます。

豊臣期の大阪城は、屏風などの資料から「黒漆塗の下見板張り&望楼型5重天守」だったようです。

豊臣秀頼と言うと、妻は「千姫(徳川秀忠の娘)」。
そして側室の成田氏娘との間に「天秀尼」のちに千姫の養女。東慶寺20世がいますね。

豊臣秀頼と母の淀殿が自害した地は、天守閣の裏側「山里丸」にひっそり残ってます。
こういうところに行かないとね!

・障子掘りが見つかる

今は埋め立てられていますが、平成15年(2003年)大阪府警本部周辺(旧三の丸と思われる場所)で、大規模な堀が見つかり、その中で、小田原北条氏の支城「山中城」で有名な、「障子掘り」が見つかっています。

小田原合戦の時に見たものを適用したのか、そもそも、それ以前に使っていたのか?

徳川大阪城

大坂夏の陣で焼失したということは、現在目にしている大阪城はその後に築かれたものですね。

徳川期に大阪城は再建されますが、
1665(寛文5年) 落雷で焼失
1931(昭和6年) 復興天守が竣工

と、長い間大阪城の天守閣は無かったんですね。

大阪城で有名な、水堀&高石垣&雁行(入隅と出隅の繰り返し)は、大手門の横から見れます。
横からも前からも攻撃できるように防御を高めるための仕組みですね。

大手門に向かう直線です。

大手門をくぐってしばらく歩くと、本丸へ入るための空堀とそれに架かる橋&桜門。
ここで「蛸石」っていう巨石の石垣を見ながら本丸広場へ。

ここは外国人がとっても多いスポット。
でも今回は「新型コロナウイルス」の影響もあって、かなり人が少なかったです。

本丸にはミライザ大阪城(旧第四師団司令部庁舎)っていう商業施設もあって観光地化。
まあ、大阪城もコンクリート造りで中にエレベータありますからね・・・。

大阪城天守閣

天守閣はいろんな展示スペースになっています。歴史好きな人にはたまりませんねー。
徳川期の大阪城なのに、内部の展示は豊臣秀吉をメインとする内容が多かったです。

個人的には、少年時代の秀吉が「蜂須賀小六(蜂須賀正勝)」と出会ったことに興味が。
蜂須賀氏って先日行った徳島城の城主でもあり徳島藩主の祖。

当時、秀吉が盗賊だった蜂須賀氏の手下になって働いてたそうで、後に小六が股肱(ここう|腹心)の重臣となって秀吉を支えるとか。凄い運命だなと。

いろいろ繋がってくるとホントに面白いですね。

日本城郭検定 過去問題

日本城郭検定の過去問から、その城の事をもっとよく知ることができますよ!

一番多くの三重櫓が有った場所(2級問題:第9回)

徳川大阪城は、当時、一番多くの三重櫓(最高格式の櫓)があった場所。

ちなみに「櫓」の数が一番多かったのが広島城で76基!
次は、姫路城の61基です。

パークス(イギリス公使)が徳川慶喜を表敬訪問した場所

ハリ―・パークス(1828-1885)はイギリスの外交官。幕末から明治初期にかけて駐日英国大使を18年間も務めた人物。

1867年に大阪で徳川慶喜に謁見して「(慶喜は)今まで会った日本人の中で最も優れた人物」と評した。

大阪城内に太鼓櫓は現存していない

大阪城の天守閣以外の建物は、鳥羽伏見の戦い(幕末)に焼失しています。
今現在まで残っているのが、

大手門、千貫櫓、乾櫓、一番櫓、六番櫓、金蔵(本丸)、焔硝蔵(京橋口)、金明水井戸屋形(本丸)

大阪城公園MAP(PDF)はコチラ

お城巡りに役立つ本