今回は鶴岡八幡宮をきっかけに八幡宮のご祭神の一柱「応神天皇」にフォーカスをあてて、鎌倉も抜け出して(!)関連史跡を見ていきたいと思います。
※神様の数え方は柱(はしら)が単位です。森や自然を大切にする日本らしい単位ですね。
応神天皇ゆかりの地
全国に44,000社ある八幡宮の総本社は、大分県にある宇佐神宮です。
そこから勧請され、石清水八幡宮、鶴岡八幡宮(もしくは筥崎宮)が日本三大八幡宮と言われています。
鶴岡八幡宮の歴史
鎌倉雪ノ下にある鶴岡八幡宮のざっくりとした歴史です。
1063年
源頼義が、源氏の守り神として、石清水八幡宮を由比郷鶴岡(元八幡宮)に勧請
1081年
源義家が、(頼義の子|八幡太郎義家)元八幡宮を修復
1180年
源頼朝が、現在の地(小林郷)に遷座して鶴岡若宮と呼んだ。
1182年
段葛完成。御台所北条政子の安産祈願のため。
1191年
火災で消失。すぐに若宮(下宮)を再建。本宮(上宮)も創建。現在の形に。
1193年
下拝殿(舞殿)が新造。
1624年
徳川秀忠(2代将軍)が現在の若宮を再建造営。
1828年
徳川家斉(11代将軍)が現在の本宮を再建造営。
2010年
隠れイチョウが3月に強風のために倒伏。
鶴岡八幡宮のご祭神
ご祭神は、応神天皇・比売神・神功皇后です。
応神天皇は第15代天皇。八幡大神。
和風の諡号(貴人の死後に奉る名前)は誉田別尊(ほむたわけのみこと)。
比売神は宗像三女神(多岐津姫命・市杵島姫命・多紀理姫命)
神功皇后は応神天皇の母。第14代天皇「仲哀天皇」の皇后。
諡号は気長足姫(おきながたらしひめ)。
応神天皇陵(誉田御廟山古墳)
2019年に正式に世界遺産になった「百舌鳥・古市古墳群」
49基の古墳群の総称ですけど、2番目の規模を持つのが「応神天皇陵古墳」です。
百舌鳥・古市古墳群は名前の通り、百舌鳥と古市に分かれてます。
百舌鳥地区が、一番大きい仁徳天皇陵や堺市博物館がある場所。
古市地区が、二番目に大きい応神天皇陵がある場所です。
場所は結構離れてて、直通の公共交通機関も無くて、乗り換え乗り換えで不便・・・。
古市地区の最寄り駅は、近鉄南大阪線「古市駅」~「藤井寺駅」。
古墳が大きくて、最寄り駅が決められません(汗)。大阪阿部野橋から準急や急行で20分足らず。意外と近いですよ。
前方後円墳はその名の通り、前が方形(真っすぐ)、後ろが丸形の古墳ってこと。
そして、前の真っすぐな部分の中央に礼拝所が設けられています。
とはいっても宮内庁が管理する礼拝所であって、実際に古墳の中に入ったりすることはできず、遠くから眺めるだけ 。
空港写真で見ると古墳の形ははっきりとわかりますけど、地上からみたら大きな丘にしか見えません。。。
そして、後述する「誉田八幡宮」は、古墳の後ろ側に位置しています。
八幡宮から礼拝所まで、前半は住宅街を通ることにはなりますが、後半は外濠外堤を歩くことができおススメ。
まあ、とっても大きな古墳なので歩くのに時間はかかりますけど、その大きさを体感したいし、説明版も所々にあって飽きずに歩けますよ。
ちなみに、一番大きい天皇陵は仁徳天皇で第16代天皇。
あれ?ということは応神天皇の子供か。こりゃ次行かなきゃね(笑)
誉田八幡宮(こんだはちまんぐう)
近鉄南大阪線「古市駅」を降りて徒歩10分くらい。
応神天皇陵に向かって八幡宮が立ってます。その名も誉田八幡宮。
読み方は違いますが、応神天皇の別名「誉田別尊」を頂く、ゆかり満載の八幡宮です。
ご祭神には比売神に代わって、応神天皇の父、仲哀天皇(第14代天皇)が名を連ねています。
八幡宮の八はやっぱり鳩。ちょっと怖いですけど・・・。
到着した時間が午後4時と社務所が閉まる1時間前だったのかもしれませんが、参拝者はほぼゼロ。。。
皆さんやっぱり、古墳を見るなら一番大きい仁徳天皇陵に行くのでしょう。
応神天皇陵もあまり人がいなかったしな。
応神天皇は小さいときにココ、羽曳野市誉田に住んでたらしく、奥さん(皇后)はこの地の豪族の娘だそうです。
近くに皇后の古墳もありますよ。
応神天皇と仁徳天皇は、倭の五王(讃・珍・済・興・武)のいずれかと言われてます。
やっぱり古墳の大きさは、その人の権力の強さや功績の大きさも反映していると思うので、もっともっと人物像を突っ込んでみたいですね!
ちなみに、古事記に掲載されるような過去の天皇の事を知りたければ、「古事記を現代語訳っていうかラノベ風にしてみた」っていうサイトは面白いですよ!