今回は、宮崎駿監督のスタジオジブリの長編アニメーション「風立ちぬ」から、鎌倉視点で広げて行きたいと思います。
風立ちぬの原作者|堀辰雄
アニメ「風立ちぬ」は2013年公開の映画ですが、原作は「堀辰雄」が1936-1937年に発表した「風立ちぬ」ですね。
1937年(昭和12年)は日中戦争が始まった時期です。
堀辰雄の生涯と交友関係等
1904-1953年。小説家。肺結核を病む。代表作:聖家族、風立ちぬ、菜穂子。
かなり端折ってますが、原作「風立ちぬ」に関係する内容と、鎌倉文士との交友関係にフォーカスしてピックアップしてみました。
1904年(明治37年) 東京都千代田区平河町で出生。
1930年(昭和5年|26才) 川端康成と親交を持つようになる。
1933年(昭和8年) 「風立ちぬ」のモデル、矢野綾子と出会い、結婚するも、結核を患っていた。
1935年(昭和10年) 矢野綾子と二人で長野のサナトリウムに入院するが、綾子の病状が悪化し死去。
1937年(昭和12年|33才) 軽井沢にある川端康成の別荘で「風立ちぬ」を書き上げる。
1938年(昭和13年) 東京の自宅で喀血(かっけつ)し、鎌倉市の額田病院(現:額田記念病院)に入院。
1953年(昭和28年|49才) 病状が悪化し死去。
原作の「風立ちぬ」は、堀辰雄の実体験が元になった作品です。
堀辰雄(私)と矢野綾子(節子)が、愛する人の死が近いのを覚悟するとともに、生を強く意識する話。
アニメの「風立ちぬ」では、私が堀越二郎になり職業が小説家から飛行機の設計士に変わってますし、節子が菜穂子に変わってんすが、流れは変わってませんね。
軽井沢のシーンが良く出てきますが、堀辰雄も軽井沢によく行ってますし、矢野綾子との出会いも軽井沢なんでしょうか。
この「風立ちぬ」。原作者の堀辰雄の生涯を知ってると、何かグッと来るものがあります。
鎌倉でサナトリウムと言えば由比ガ浜
「風立ちぬ」が発表された昭和12年頃。
そのころ結核と言えば死亡率の高い感染症だったんでしょうね。(今でもそれなりの死亡者がいるとか)
その結核等の療養所がサナトリウム。
日当たりや空気などの環境の良い高原や海浜に建てられることが多かったみたいですね。
鎌倉では由比ガ浜にあった「鎌倉海賓院」が有名ですね。
1887年(明治20年)長与専斎が開院した、日本最初の海浜サナトリウム。
ちなみに、アニメ「風立ちぬ」で出てきたサナトリウムは「富士見高原療養所」。高原施設ですね。
また、「となりのトトロ」で出てくるサツキとメイのお母さん。
胸を痛んで「七国山病院」に入院中ですけど、これも結核っぽいんですよね・・・。
結核を発見した医者「ロベルト・コッホ」
そして、結核菌を発見したのが近代細菌学の開祖「ロベルト・コッホ」ですね。
稲村ヶ崎には、ロベルトコッホの弟子だった北里柴三郎と一緒に鎌倉を訪れた記念碑が、稲村ケ崎の一角にあります。
おまけ
今回は、ちょっと気になった「風立ちぬ」から、堀辰雄&鎌倉視点で強引に広げてみました。
きっかけは、ちょっと下世話なこの本。
文学苦手なんで、真正面から行ってもダメかなと思って(笑)
また、アニメにも少し頼りましたよ。中島敦が主人公のこの漫画。
これはちょっと、文豪の名前と有名な本と何となくの性格くらいしか掴めないかな。