江戸検定巡り|日本橋にて(其之壱)

江戸検定巡り|日本橋にて(其之壱)
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今回は「大江戸見聞録(其之壱)」を見ながら、日本橋から今川橋までをブラブラしながら歩いてみました。

日本橋

日本橋川に1603年(慶長8年)に掛けられて、翌年五街道の起点になった擬宝珠の付いた御公儀橋
今の日本橋は明治44年に完成した石像二連アーチ。

五街道とは

日本橋を起点に伸びる、東海道、中山道、日光街道、奥州街道、甲州街道の5つ。
現代へも国道として受け継がれる。

東海道 → 国道1号線
中山道 → 国道17、18、142、20、19、21、8号線
日光街道 → 国道4、119号
奥州街道 → 国道4号
甲州街道 → 国道20号

一石橋(いちこくばし)

日本橋の横にある橋。日本橋から一国橋側を見ると江戸城と富士山が見えた。
現在は首都高がかぶさっていてる(汗)

日本橋から一石橋方面

高札場

高札場は法令や禁令などの触書を木の札に書き記して掲げたところ。
そのうち、日本橋南、常盤橋外、浅草橋内、筋違橋内、高輪の大木戸、半蔵門外の計6か所は高札場と言われる。

・高輪大木戸

JR高輪ゲートウェイ駅、京急泉岳寺駅のそばにある高輪大木戸。
今は石垣が残っていて歩行者道を曲げています。江戸の南側の入口だった場所。

・常盤橋外

日本橋に近かったのでちょっと寄ってみました。

日本橋魚河岸

魚河岸は鮮魚や塩干魚を荷揚げする場所。
家康公が、摂津のから江戸の佃へ漁民を連れてきて白魚漁の権利を貰って商売をしたのが始まり。

日本橋魚河岸跡 説明板

熈代勝覧(きだいしょうらん)

化政時代(19世紀前半)の、神田今川橋日本橋の大通りの問屋街と人々を描いた絵巻物。

現在は複製が東京メトロ「三越前駅」地下コンコースで見ることができます。
(本物はベルリン国立アジア美術館)

日本橋界隈

昔は大店が並んでいた室町二丁目。
町木戸があって、夜4つ(22時)~明け6つ(6時)までは、原則通り抜け禁止。(治安のため)

日本橋界隈

須原屋(版元|出版社)

黄表紙ではなく、蘭学などの外国の翻訳本、まじめな本を売っていた本屋。

「解体新書」杉田玄白&前野良沢
「物類品隲」平賀源内
「西説内科撰要」宇田川玄随

神田須田町(青物市場)

神田須田町付近に青物商を集めて幕府の御用市場としたもの、千住・駒込とともに江戸三大青果市場

でも案内板には青果の文字が出てこなかったな(汗)

三井越後屋

横丁に面した店先が三五間(約64m)の大店。
手代や小僧が500人、売上600両(約3,600万円)/日。

伊勢松坂出身の三井高利が、京都に呉服の仕入れ店、江戸に販売店を開いたことが始まり。

室町二丁目交差点

・その他の大店の呉服屋

麹町5丁目 岩城升屋
通旅籠町  下村大丸
尾張町2丁目 亀屋、島田恵比寿屋

十軒店(じっけんだな)

3~5月の節句前の雛と武者の人形市、師走の羽子板市が有名。
仮設の小屋掛けの店が10軒ほど並んでいた。

十軒店跡 説明板

日本銀行 本店(金座)

本店の敷地跡は「金座」が有った場所。近くのお店もそれにあやかって「KINZA」だったり(笑)

勘定奉行の支配下で、金吹所(製造)、金局(事務局)、御金改役の後藤庄三郎光次の役宅の総称。
明治2年、「金座」は造幣局に吸収されて廃止。

本石町周辺

時の鐘

時の鐘は鐘を撞いて時間を知らせるもの。
まず、捨て鐘を3つ鳴らしてから時の数を撞く。

本石町の他に、浅草寺、上野山内、本所横川町、市谷八幡、赤坂田町など全部で九か所。

芭蕉の句「花の雲 鐘は上野か 浅草か」

お寺の鐘とは違うので、鐘撞番がいて、その費用は町で負担。間口1間に3文(約45~60円)。

長崎屋

長崎に駐在したオランダ商館長が江戸参府したときの定宿。
江戸参府は江戸前期から毎年実施、江戸中期からは費用の関係で4年に1回に。計166回。

蘭学に興味を持つ、青木昆陽・杉田玄白・中川淳庵・桂川甫周・平賀源内などが訪問した。

他にも、
島津藩主「島津重豪」(鎌倉にある源頼朝の墓の玉垣などを奉納した人物)

・YouTube「源頼朝の墓(鎌倉)」


中津藩主「奥平昌高」(島津重豪の次男|蘭癖大名で有名)
 当時のオランダ商館長(カピタン)からフレデリックヘンドリックというオランダ名を貰う。

下総古河藩家老「鷹見泉石

与謝蕪村居住地跡

1716-1784年。江戸時代の俳人、画家。
松尾芭蕉、小林一茶と並び江戸俳諧の巨匠の一人。こんな日本橋界隈に住んでました。

「絶頂の 城たのもしき 若葉かな」(日本城郭検定過去問)

与謝蕪村居住地跡

十思公園

本石町にあった時の鐘が現在保存されている公園。

今川橋

現在は、川も橋も全くありませんが、交差点の名前にその名残がありますね。
熈代勝覧に描かれているのもここら辺までということで。

今川橋交差点

神田上水

井の頭池(三鷹市)を水源とする神田川の流れを、関口(文京区)に堰をつくって江戸市中へ導き、水道水としたもの。

お茶の水

お茶の水付近で懸樋で外堀(神田川)を超えて山の手線内へ。

今回は日本橋界隈を歩くことで、なんとなく中心部の江戸の位置関係が分かってくるようになりました。
まだまだいろんなところを歩いて、ピースをはめて行かないとダメですね。

なんたって、江戸広すぎますから!

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