今回は「大江戸見聞録(其之弐)」を見ながら、山の手方面をブラブラしながら歩いてみました。
目次
山の手と神田山
大名屋敷(藩邸)
参勤交代で大名の正室や嫡子は江戸に住むことになっていたので、全ての大名の屋敷が江戸に作られた。
大名屋敷には、上屋敷・中屋敷・下屋敷などがあり、下記のように分かれていた。
上屋敷:江戸城の近くに建てられた、大名が江戸で住まいとする場所。藩の江戸政庁的な存在。
中屋敷:上屋敷が火事にあった時や隠居した藩主などが住んだ場所
下屋敷:江戸から距離のある場所に建てられた、国許からの物資を収蔵すいる蔵屋敷や別荘的なもの
・尾張藩徳川家
上屋敷:防衛省庁舎 中屋敷:上智大学 下屋敷:都立戸山公園
・紀州藩徳川家
上屋敷:赤坂御用地 中屋敷:グランドプリンスホテル赤坂
・水戸藩徳川家
上屋敷:小石川後楽園 中屋敷:東京大学本郷キャンパス弥生地区 下屋敷:隅田公園
下屋敷 隅田公園
・加賀藩前田家
上屋敷:東京大学本郷キャンパス
外堀巡り
江戸城の外側の堀のこと。ほぼ千代田区の外周にあたる。
赤坂門
四谷門
牛込門(飯田橋)
飯田橋駅には牛込見附がある。水戸藩徳川家上屋敷の「小石川後楽園」もこの駅が最寄り駅になる。
水道橋
橋名が、この橋の下に神田上水の懸樋(樋|雨水などの液体を運ぶのに用いる雨どい)があったことに由来する。現在はもうちょっと西側に移動している。
神田上水懸樋跡
JR御茶ノ水駅とJR水道橋駅の間(千代田区側)に石碑があります。
またこの石碑がある場所から、外堀(神田川)を越えると千代田区の駿河台で、日比谷入り江を埋め立てた土砂をココから削った場所。

お茶の水
ここまで来ると、湯島聖堂や神田明神がすぐそばに。秋葉原駅にも近いです。
神田川(外堀)はそのまま、秋葉原を通って、隅田川に合流します。
小名木川
隅田川(大川)から旧中川に繋がる堀。
江戸時代に、徳川家康が掘らせたもので、塩田のある下総の行徳(千葉県市川市)まで繋がっている。
隅田川から入ってすぐに架けられている橋が「萬年橋」
江戸時代には小名木川を航行する船荷を取り締まる「番所の橋(川船番所)」があった。
外堀通りから上野へ
湯島聖堂
聖堂とは中国の孔子など聖賢を祀るもの。
もともと林羅山が孔子廟を設けていた上野から移築(徳川綱吉が命令)
その際に孔子の生地「昌平郷」にちなんで「昌平坂」と命名。
※足利市の足利学校にも孔子を祀っていて、その住所は昌平町になっている。
昌平坂学問所
現在の湯島聖堂の道路を挟んだ東京医科歯科大学に案内板だけある「昌平坂学問所跡」
幕府直轄の学校で旗本や御家人はココで学び学問吟味(昇進試験?)を受ける。
1630年に林羅山が徳川家康から貰った屋敷地で営んだ「儒学」の私塾が起源。その後林家が大学頭を継承。

神田明神
平将門が祀られていて江戸の総鎮守とされる。
神田祭は江戸城内で将軍の上覧に供するので「天下祭り」と称される。
徳川将軍家の菩提寺
寛永寺
寛永2年(1625年)に天海僧正(天台宗の僧)が創建。山号が東叡山。将軍家の菩提寺。
※京都の鬼門「比叡山」に対して、江戸の鬼門に建つという意味。
寛永寺には、家綱(4代)、綱吉(5代)、吉宗(8代)、家治(10代)、家斉(11代)、家定(13代)の6人の将軍の廟がある。
・不忍池
東の比叡山という意味から、琵琶湖に見立ててある。
よって、不忍池にある島は、琵琶湖にある「竹生島」。祀られているのは弁財天。

・上野広小路
1657年明暦の大火以降、上野公園入口から松坂屋に至る道路を広げて火除地となり、広小路と言われる。
江戸三大広小路のひとつ。別名「下谷広小路」
他は、両国広小路と浅草広小路。

増上寺
江戸の治安
南北町奉行所
老中支配下で南と北の、たった2名が町奉行。有名人として「大岡越前守」。
町奉行の管轄は、警察・司法・行政全般と広く、南北奉行所はひと月交代の月番制。
与力・同心組屋敷
町奉行に付属する与力が各奉行所に25名。その配下に同心が100名。さらには非正規職ともいえる目明し(岡っ引)が約400人。(幕府非公認)

また、日本橋茅場町と八丁堀に屋敷があり、「与力の朝風呂」という朝方にお客の来ない女風呂に入って、男風呂からの会話を聞いたりすることも行った。