今回は「大江戸見聞録(其之六)」を見ながら、深川周辺をブラブラしながら歩いてみました。
目次
深川江戸資料館
深川江戸資料館は深川地区にゆかりのある人の紹介や、見どころの「江戸時代の深川情景を原寸で復原」した街並みをみることが出来て、とっても勉強になります。
長屋の奥の方へ行くと、共同で使った、井戸、雪隠(便所)、芥溜(ごみ溜め)も再現。
深川には水道水の井戸があることは珍しく、多くは水売りから購入。
一荷波銭1枚。一荷(いつか|天秤にさげた前後の桶二つ分)、波銭(なみせん|4文銭)
長屋の家 長屋の様子
文京区での、店賃(たなちん|家賃)の大まかな相場
裏長屋(9尺2間)、月額:銀5匁=金1両の1/12 1両=4000文だと330文
1文=20円とすると、6600円/月 と、現代より安い
深川ゆかりの有名人
・山東京伝(さんとうきょうでん)
1761-1816。江戸時代後期の戯作者(黄表紙、滑稽本、人情本など派生して流行するすべて)
・曲亭馬琴(きょくていばきん)
1767-1848。江戸時代後期の読本作家。「南総里見八犬伝」。原稿料で生活できた最初の著述家。
・市川團十郎(7代目)
1791-1859。歌舞伎役者。歌舞伎十八番を制定
深川佐賀町から深川神明宮まで北上
深川佐賀町
ちなみに、この長屋は深川佐賀町を復元したもの。今の江東区佐賀。
・仙台堀
堀の河口に仙台伊達藩の蔵屋敷があったことから、この堀名に。
・小名木川(おなぎがわ)
隅田川と中川を結ぶ堀。全長5km、川幅約36m。小名木四郎兵衛が開削。
芭蕉庵跡(紀伊徳川家下屋敷内)
萬年橋を渡ってすぐ左のところにあるのば芭蕉庵跡。
「古池や 蛙飛込こむ 水のおと」
は、ここの庵での作。
深川神明宮
深川の地名は、摂津国から「深川八郎右衛門」が一族率いて移ってきたから。
一族の守り神として、伊勢神宮を屋敷内に勧請したのが深川神明宮。※神明宮は伊勢神宮のこと。
深川神明宮から富岡八幡宮まで南下
元々深川は葦の原。
埋め立ててドンドン人口が増えていき、正徳3年(1713年)江戸町奉行の支配をうけるようになった。
高橋(小名木川)
大川(隅田川)沿いを北上したときは「萬年橋」を渡りましたが、今回は小名木川の2つ目の橋「高橋(たかばし)」を通っています。
霊厳寺
高橋を渡ると現在の「清澄白河駅」。
深川江戸資料館に行くまでの途中に霊厳寺があります。
ここには、陸奥国白河藩(福島県)で、徳川吉宗の孫だった、老中「松平定信」の墓がある。
松平定信の墓
富岡八幡宮
例祭の「深川祭」は神田明神、日枝神社、浅草神社と並ぶ盛大さ。
相撲の勧進興行の場所。
・永代橋
文化4年(1807年)の時は、多くの人が永代橋(隅田川)を渡って、人の重みで橋が崩れ亡くなった人が大勢出た。
おまけ
昔の江戸の図。右側が北になっています。