江戸検定巡り|品川の宿にて(其之七)

江戸検定巡り|品川の宿にて(其之七)
2020-09-11
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今回は、江戸文化歴史検定公式テキスト【初級編】をガイドブックとして、其之七「品川の宿にて」を参考に、街歩きをしてきました。

品川宿は、北から歩行新宿(かちしんじゅく)、北品川宿、南品川宿の3か所で構成される、東海道1番目の宿場。

歩行新宿地区

八ツ山橋(起点)

歩行新宿のスタート地点は京急電車と交差する「八ツ山橋」手前と思われます。

東海道八ツ山口(歩行新宿入口)

問答河岸の碑

3代将軍徳川家光と東海寺の沢庵禅師とのやり取り。木板はもう読めません(苦笑・・・)

家光「海近くして 東(遠)海寺とは これいかに」
沢庵「大軍を 率いても 将(小)軍 というがごとし」

土蔵相模

食売旅籠屋「相模屋」の俗称。今は中層アパートになってしまってます・・・。

品川浦

江戸城に魚を納める浦、御菜八か浦(おさいはちかうら)のひとつ。浅草海苔が名物。
今は周辺が埋め立てられ漁業も中止になったが、船だまりとして雰囲気が残っている。

台場横丁と御殿山下砲台跡

ペリー来航あとに江戸防備のために品川沖に作った台場跡の一つ。
海上に計画していたものが完成しなかったので、陸続きのココにお台場を造った。

下記は品川歴史館に設置してあった品川御台場に関する案内板。五角形の形がよく分かります。

北品川宿地区

溜屋横町(起点)

現北品川二丁目4にある溜屋横町(海側)への道が出ている部分が、歩行新宿と北品川宿の境だと思われます。

品川神社

北品川の鎮守社。徳川将軍家とゆかりの深い神社。

富士塚(品川神社内)

富士講の人々が、実際に登山できない講員のために造った築山

一合目から登る場所と途中(五合目?)から登る場所があって、本物の富士山みたいです(笑)
富士山の頂上からは国道15号線や品川宿に向かう横道を見下ろせます。

聖蹟公園(品川宿本陣跡)

宿場町に一か所はある大名や公家等が宿泊する本陣。
品川宿は江戸に近く泊る人が少なかったため、大きな宿場町なのに1か所しかなかった。

品川図書館

江戸近郊に位置する品川地域は、大名・旗本などの下屋敷・抱屋敷が多くみられる。
品川図書館の場所は、日向佐土原藩島津家抱屋敷跡。

案内板には、江戸時代の目黒川の蛇行具合も書かれていますね。

東海寺

3代将軍徳川家光が禅僧の沢庵を迎えて開いたお寺。「たくあん」が考案された地。
東海寺自体は、なんか廃寺のような錆びれば雰囲気。。。ここより東海寺大山墓地へ行きましょう。

南品川宿地区

品川橋・目黒川(起点)

北品川宿と南品川宿の境には目黒川が流れています。
昔は目黒川の下流域のことを「品川」と呼んでたらしいです。

荏原神社

東品川、南品川地区の氏神様。
現在は北品川側に位置しているが、江戸時代は目黒川は荏原神社の北側を流れていたそうです。

旧東海道沿い

御殿山

JRから西側を望むと高台になってますが、そこが御殿山。
東京マリオットホテルの横に御殿山庭園があります。

東海寺大山墓地

有名人の墓がある墓地。JR東海道線とJR山手線に挟まれた何とも言えない場所にある。

・沢庵禅師

1573-1646年。臨済宗の僧。大徳寺住持。
紫衣事件で流罪となり、その後釈放されて、東海寺を開く。徳川家光の帰依を受ける。

兵法、儒学に通じ、書画、詩歌にも優れ、茶道に造詣が深いと、完璧。

・賀茂真淵

1697-1769年。国学者。「国学の四大人(荷田春満(師)、本居宣長(弟子)、平田篤胤)」の一人。
万葉集などの古典研究を通じて、古代日本人の精神を研究。

・井上勝

1843-1910年。長州藩士、官僚。日本の鉄道の父。鉄道頭、鉄道庁長官。
ココの墓を選んだのは、東海道本線と山手線に挟まれたこの地で、死後も鉄道を見守っていたいという意向から。

鈴ヶ森刑場跡と大経寺

1651年(慶安4年)からある刑場。
対の江戸の北の出入り口の千住には「小塚ッ原」刑場がある。

鈴ヶ森遺跡で処刑された人間が数人記載されています。

・丸橋忠弥

?-1651年。武士。
由井正雪の乱(慶安の変)の首謀者。正雪の幕府転覆計画に加担したが、事前に幕府に漏れ捕縛。磔の刑。

・天一坊

1699-1729年。山伏。
8代将軍徳川吉宗の落胤を称して浪人をみだりに集めていたため、死罪となり獄門。(天一坊事件)

・白井権八

1655-1679年。武士。
新吉原の三浦屋の遊女「小紫」と昵懇となるが、困窮し辻斬りで130人もの人を殺し金品を奪う。

鈴ヶ森刑場で刑死。それを聞いた小紫は東昌寺の墓前で自害。

・八百屋お七

1668-1683年。八百屋の娘。
天和の大火(1683年)の大火でお店が焼け、お寺の避難生活で寺小姓「生田庄之介」と恋仲に。

その後お店が立て直されたため寺を引き払い「生田庄之介」とは別れるが、思いは募るばかりで、もう一度お店が燃えれば会えると思い放火。ぼやで済んだが、放火の罪で火炙の刑。

江戸時代の浮世草子「好色五人女(作者:井原西鶴)」のモデルの一人。1686年刊行。

・白木屋お駒(白子屋お熊)

1703-1727年。材木問屋「白子屋」の長女。

実家の資金繰りに苦しんでいたため、好きでもない大伝馬町の資産家の又四郎と結納金目当ての結婚をするが、密通していた「忠八」と結婚するため、又四郎を毒殺しようとするが失敗。

あせって下女きくに殺害させようと謀るが、これも失敗し事件が暴露。
お駒(日本橋中では美貌と知られる)は市中引き回しの上死罪。関係者も処刑。

歌舞伎「恋娘昔八丈」「梅雨小袖昔八丈」のヒロインモデル。犯罪を裁いたのは大岡忠相(江戸町奉行)

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