茨城県古河市には鎌倉と江戸ゆかりの2都市とのつながりの深い場所です。
鎌倉繋がりでは古河公方となった「足利成氏」
江戸繋がりでは徳川の譜代大名の「土井利勝」
主にこの2名のゆかりの地を中心に、古河駅周辺を散策してみました。
目次
足利成氏(あしかがしげうじ|初代鎌倉公方)
1434? – 1497年。第5代鎌倉公方、初代古河公方。
古河市にとって、足利成氏はビックネームです。だって将軍と名乗る人が居たんですからね!
父は、第4代鎌倉公方の「足利持氏」
父の恨みかどうかは分かりませんが、父を殺した関東管領上杉家を鎌倉を出て攻め続け、勝ち続け、下総古河を拠点に、さらに各地を転戦したようです。めっちゃ強い人物です!
古河公方御館跡
1455年(享徳4年)鎌倉から移ってきた足利成氏は、まず古河公方館を築きました。今の古河総合公園内。
ただし、ここは古河城の改修が終わる1457年までの2年間の仮住まいだったようです。
ココの地名(古河市鴻巣)から「鴻巣御所」とも言われてます。(埼玉県鴻巣市とは何の関係もありません!)
とっても広い古河総合公園内のほぼ中心部。
当時は水堀だったと考えても良い「御所沼」に突き出た土地の先っぽにあります。
古河総合公園はJR古河駅からちょっと離れてます。
歩くと30~40分は掛かってしまうかもしれませんので、レンタサイクルとかが便利かも。
菩提寺「満福寺」
足利成氏によって開かれた寺院。ここには足利成氏のお墓がある。
古河市中心部からは約3kmとちょっと離れています。歩くと30分くらいはかかるかもしれません。
満福寺自体は、境内は広いですけど、観光寺という感じではありませんね。
土井利勝(江戸幕府の老中・大老)
1573-1644年。江戸時代初期の譜代大名。江戸幕府の老中・大老。佐倉藩主、古河藩主、土井家宗家初代。
NHK大河ドラマ「葵 徳川三代」では林隆三さんが演じてらっしゃいました。
徳川秀忠(西田敏行)「利勝!」
土井利勝(林 隆三)「はっ!」
このやり取りを大河ドラマで何度見たことか(笑)
秀忠の側近で家光の傳役、家康の母方の従兄弟の関係です。
菩提寺「正定寺」
茨城県古河市にある浄土宗の寺院。古河城主の菩提寺として保護されました。
境内には土井利勝の像があります。
・正定寺黒門
説明板には「もともと東京の本郷にあった旧古河藩主土井家の下屋敷の表門」にあったもの。と書いています。
昭和8年に移築、寄進されたとあります。
本郷と言えば、加賀藩前田家の屋敷があるところですね。
江戸は広いですけど、地理感があればすぐに場所を想像・特定できて楽しいです。
古河城跡
古河城は足利成氏にとっても土井利勝にとっても重要な場所でした。
古河城は利根川や渡良瀬川が天然の堀となり守りやすい場所に築城されましたが、今は、明治時代末から始まった渡良瀬川の大規模な河川改築事業によって、城跡のほとんどが消滅しています。(残念)
なので日本100名城とか続日本100名城には選ばれないのかなと・・・。
古河城本丸跡
古河城は初代古河公方の足利成氏が築城してから、戦国時代に上杉家と北条家が奪い合ったり、江戸時代にも修復・拡張を繰り返しているお城です。
古河市の街中には、城跡の形跡を伺い知ることができ、その場所には石碑等が建てられている。
古河城御茶屋口(御成道)
この御茶屋口は江戸時代に関する史跡。
日光道中に面していて、日光社参のために徳川将軍家が日光山に参詣するときの将軍の休憩所だった場所。
また、古河入城の場所でもあったことから御成道とも言われている。
古河城出城諏訪曲輪跡
御茶屋口から入ったところにある諏訪曲輪跡。
現在は古河歴史博物館が建っています。
その周りは整備されていますが、なんとなく堀で区切られた曲輪っぽい感じが見られます。
出城と書いてますが、古河城本体から百間堀(今は埋め立てられている)を渡った出島のような立地になってたようです。
扇谷上杉家の家宰「太田道灌」は古河城に対抗するため、江戸城・川越城などを築いたとされています。
古河城は古河公方の重要な拠点だったんですね。
日光街道 古河宿
日光街道
日光街道は江戸時代に設けられていた五街道の一つ。江戸(日本橋)から日光東照宮まで。
※日本橋から宇都宮までは「奥州街道」と共通。
徳川将軍家が日光東照宮に参拝することを「日光社参」と言いますが、その旅程は、
初 日:岩槻城に宿泊
二日目:古河城に宿泊
三日目:宇都宮城に宿泊
四日目:日光に到着
となっていて、古河城は徳川将軍家が宿泊する重要地点のため、藩主は徳川家の譜代大名が務めたのだろうと思われます。
古河宿道標
現在古河宿(旧日光街道)が有った場所は県道261号線となっていて、昔の趣はありませんが、道路の橋には道標とか本陣跡などわかる範囲には、説明板は石碑などが建てられています。
鷹見泉石(たかみせんせき)
1785-1858年。江戸後期の幕府老中「土井利厚・利位」に仕えた人物。
鎌倉と江戸繋がりではないのですが、古河市ではよく見かける名前なので重要人物の一人と思われます。
さまざまな情報を取得して、古河藩主を補佐し、幕政に関与したと伝わっています。
古河歴史博物館でも、鷹見泉石について特設展示されているほどです。
永井路子
歴史小説家の永井路子先生は、茨城県古河市出身で後に鎌倉市に転居。
古河市と鎌倉市の両方で名誉市民になっています。
茨城県古河市は、鎌倉と江戸の知識があると、街歩きが俄然楽しくなりますよ。