善光寺|日本百観音結願お礼のためにお参り

善光寺|日本百観音結願お礼のためにお参り
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結願お礼の寺「善光寺」

平成29年11月17日に杉本寺で発願した坂東三十三観音巡礼。
その後、西国、秩父も巡礼し、平成31年11月7日の水潜寺で無事、日本百観音を達成しました。

最後はお礼参りなのですが、百観音終わって腑抜けになってしまい(汗)ちょっと放置。

GoToキャンペーンで長野もちょっと安く行けるということで、しっかり終わらせてきました。

善光寺へのアクセス

・JR

善光寺の最寄り駅は「JR長野駅」そこから歩いて約2kmといった感じでしょうか。
駅前から善光寺の参道になっていますので出来れば歩いて善光寺まで行きたいですね

・長野電鉄

歩く距離を少しでも短くと言うならば、長野電鉄長野線「善光寺下駅」もあります。
ここからは、善光寺の仁王門まで約500m以内でしょうか。

善光寺の参道は途中までは平たん道で楽ちんなのですが、途中から上り坂になっていきます。
道路はアスファルトじゃなくて、石畳のような感じですが、車がドンドン通ります。

善光寺の本堂が近づくと、両脇にはお店が並び始めます。門前って感じがしますね。
写真は、早朝6時くらいなので人が写っていませんが、日中は結構な人手ですよ。

善光寺の御朱印(観音巡礼)

御朱印所は本堂の手前と、もっと手前側に二か所ありました。
御朱印は5種類ほどありましたが、巡礼の御朱印帳を出せば、頂く御朱印は自動的に決まりますね。

御朱印代 300円。

善光寺の境内

善光寺本堂周辺の地図が書かれた案内板です。
参拝券の種類なんかも、お参り前に多少は知っておきたいですね。

本堂内陣では真っ暗な中を進むっていうアトラクションのような・・・。

ちなみに、本堂とか山門、経蔵とか、建物に目が行きがちですけど、供養塔や碑、塚なども、いろいろあって説明板を読むのも善光寺について知れてしいです。

善光寺本堂(国宝)

善光寺の本堂は国宝です。
今建っている建物は宝永四年(1707年)と、江戸時代初~中期頃に再建されたものですね。

国宝ってある程度古くて、日本歴史上重要な物じゃないと指定されないですから。ぜひ見たいです。

鎌倉との繋がり(長野県長野市)

折角、長野市に来たので鎌倉との繋がりを探したいと思います。

鶴ヶ橋(善光寺7橋)

善光寺は49名所と言って、善光寺周辺の寺院、神社、池、清水、小路、橋、塚にそれぞれ7つの名所があるようです。

鶴ヶ橋はそのうちの橋についての7名所の一つ。善光寺参道に案内棒がありました。

源頼朝は善光寺参詣の途中、この橋の下を流れる北八幡川で身を清め、はるかに鶴岡八幡宮を拝んだと伝えられる

善光寺に行っても、頼朝さんは鎌倉の鶴岡八幡宮を忘れることは無かったんですね。いい話だ。

鶴ヶ橋(善光寺七橋)

駒返り橋

山門と仁王門の真ん中くらいに案内板があります。こちらも源頼朝繋がり。

建久八年(1197年)源頼朝が善光寺に参詣した折、馬の蹄が石橋の穴に挟まってしまい、ここから奥は馬を返して徒歩で入ったと言われています。
頼朝は火災で焼失した本堂の再建を行うなど、善光寺に深い信仰を寄せていました。

1197年は頼朝が亡くなる2年前(約51才)
頼朝時代の中でも、政治的に安定した時期だったのではないでしょうか。

駒返り橋

伝 佐藤兄弟供養塔

善光寺の三門左横にある宝篋印塔です。長野市指定文化財。源義経つながりです。
この地方で最古の逆修供養塔(1397年)

古くから、源義経の忠臣「佐藤継信・忠信」兄弟の供養塔と言われ、若くして戦死した二人を供養するため、母親の梅唇尼(ばいしんに)が善光寺に参詣して建てたと伝えられています。

・佐藤継信(兄)

平安時代末期の武将、源義経の家臣。義経四天王の一人。
藤原秀衡(奥州藤原3代目)の命で、佐藤兄弟が義経に随行した。屋島の戦いで討ち死。

・佐藤忠信(弟)

文治元年(1185年)京都堀河の義経の屋敷に頼朝の刺客「土佐坊昌俊」が差し向けられ、義経と応戦。

紫雲山 頼朝院 十念寺

お寺の入口に「鎌倉右大将 頼朝公開基」と書かれています。

治承三年(1179年)3月に炎上した善光寺伽藍の再建落慶法要に大施主として参列すべく随兵軍団と共に、源頼朝が建久8年(1197年)3月23日当地に差掛るや・・・この奇端を記念すべく一宇を建立し・・・

上記の「駒返り橋」と同じく、1197年に源頼朝が当地に来た時の出来事ですね。

観音巡礼のお礼参りで来たのに、鎌倉繋がりに夢中になってしまいました。うっかりです・・。

鎌倉の歴史把握に役立った書籍