中将姫|当麻曼荼羅縁起絵巻のほぼ主人公

中将姫|当麻曼荼羅縁起絵巻のほぼ主人公

2020-01-21

今回は鎌倉と奈良を間接的に結びつける「中将姫」について、生い立ち等など深掘っていきたいと思います。

当麻曼荼羅縁起絵巻(光明寺・国宝)

光明寺の寺宝に国宝の「当麻曼荼羅縁起絵巻二巻・附松平定信添書一巻』があります。

奈良県の當麻寺の本尊「當麻曼荼羅」の由来を書いた絵巻。
光明寺の大壇越の内藤義概が寄進したものだそうです。

光明寺の外れに圧巻の内藤家墓地がありますよ。

内藤家墓地(光明寺)

磐城平藩主&日向延岡藩主だった内藤家。
源頼朝に仕えた内藤盛家から始まってるようで、鎌倉にルーツがあるんですね!

でも、なぜ奈良県にある當麻寺の縁起絵巻を持ってたのでしょうね?

當麻寺

當麻寺は612年に聖徳太子の弟が建立したのが最初と伝わる(場所は今と違うけど)古いお寺です。
なので、境内には金堂があって、それを中心に東西の塔(国宝)が建ってます。

鎌倉時代以降は当麻曼荼羅と中将姫伝説が阿弥陀信仰と合体。
当間曼荼羅があった本堂が本尊に成り代わってしまいました。

毎年4月14日には、當麻寺練供養会式(当麻レンゾ)が行われますね!(見たことないけど)

中之坊(塔頭)

境内に片桐石州作の庭園(大和三名園|国名勝・国史跡)がある塔頭があります。要拝観料。

大和三名園(香藕円|こうぐうえん)

回遊式庭園で當麻寺の東西両塔を背景におさめていてとっても素敵な空間です。
また、中将姫が剃髪した堂「剃髪堂」もあります。

庭を回ったら霊宝殿へ。
中将姫関連の宝物がたくさん展示されてますよ。

で、この當麻寺のある二上山の東麓。ここは修験道の開祖:役行者の私領で、初めの頃の修行の地だったんですね。
なので、陀羅尼助に関するお釜とか残っています。

中将姫の一生

747-775年。奈良時代。当間曼荼羅を織ったとされる伝説上の人物
父は藤原豊成(右大臣|めっちゃ偉い人)、妻は紫の前。

ちなみに地位の順序は、太政大臣→左大臣→右大臣です。だからナンバー3かな。

誕生寺

中将姫は、奈良市にある「誕生寺」で生まれたとされています。
誕生寺は浄土宗の尼寺。いつも閉門なんでしょうか?10時くらいに行っても開いてませんでした・・・。

徳融寺

奈良市にある、右大臣「藤原豊成」の旧邸宅に建築されたようで、山号が豊成山。
ちなみに、上記の誕生寺も旧邸宅跡のようで、目の前です。

中将姫の生母「紫の前」は5歳の時死去。6歳には豊成が妻を娶り「照夜の前」が継母となるんですね。

そして、ここから悪夢が訪れます。

中将姫は美貌も才能もあったので、継母に憎まれて虐待へ。
このお寺には割竹打ちのせっかんを受けた「雪責の松」の案内板がありますよ。

この時代SNSとか無いから誰にも知られず、止める人もいなく大変です・・・。

青蓮寺

浄土宗の尼寺。奈良県でも物凄い山奥にありますね。

父である藤原豊成が諸国巡礼で家を空けた時に、継母が家臣に中将姫の殺害を命令。
でも家臣は殺すことが出来ずに、青蓮寺で共に隠遁。

2年6か月の間、念仏を唱え続けた後、なんと父と再会。
父と一緒に奈良に帰ったけど、仏道の志を止めることは出来ずに、當麻寺で出家したと。中将姫19才。

そして、上記の當麻寺へ。

中将姫が題材になった作品

能楽:当麻、雲雀山(世阿弥)

世阿弥(1363-1443年)は、室町時代初期の大和猿楽結崎座の猿楽師。父は観阿弥。
能楽は現在で言うのこと。

観阿弥・世阿弥は、能の流派「観世流」

浄瑠璃:当麻中将姫(近松門左衛門)

近松門左衛門(1653-1725年)は、江戸時代の浄瑠璃、歌舞伎の作者。

浄瑠璃は、三味線が伴奏楽器。大夫(たいふ|語り部)が詩章(ししょう)を語る劇場音楽。

死者の書(折口信夫)

中将姫、なんとなく惹かれるストーリーなんですよね。
いろんな物語になって後世に語り継がれるのが、なんとなくわかる気がします。