池上本門寺|日蓮上人の入滅の地巡り

池上本門寺|日蓮上人の入滅の地巡り

鎌倉市民なら、鎌倉新仏教の一つ「日蓮宗」の日蓮上人はとっても有名な人。
日蓮宗の寺院も多いですし、ゆかりの地も沢山。

日蓮上人が鎌倉に居たのは、日蓮上人の前半戦。
今回は、後半戦、特に入滅の地として大本山にもなっている池上本門寺に行ってみました。

日蓮宗大本山 池上本門寺

東急池上線 池上線

池上本門寺は東京の大田区。
JR蒲田駅から出ている東急池上線で2駅目の池上駅が最寄り駅になります。

東急池上駅から池上本門寺までは1kmないくらいの距離、歩いて10分くらいです。
本門寺通りっていう道があります。

池上本門寺 参道

本門寺通りを歩いて行くと、動物病院の前に大きな岩と参道の石標があります。
ここまで来ると、山門まではあと少し。

山門に着く前のお店の一つが気になったので。
「ごまおはぎ」

鎌倉には、ぼたもち供養っていうのがあって、ごまのぼたもちを配ってるんですよね。
日蓮上人=ごま、っていうイメージが定着してるので、なんか関係してるのかな?って。

池上本門寺 参道と石段

さすが大本山なので総門も立派ですね。
扁額の文字は、本阿弥光悦。彼も熱心な法華経信奉者だそうです。

・本阿弥光悦

1558-1637年。書家、陶芸家、茶人。寛永の三筆
こうやって書くと、マルチアーティストのような人物ですけど、茶人(師は古田織部)のイメージが強いな。

・本阿弥光悦の屋敷は、今、日蓮宗の光悦寺になってる。
・加賀藩前田家より扶持200石受けている。
・琳派の創始者。風神雷神図の俵屋宗達と創始。

総門の次は、法華経にちなんだ96段の石段。
これも日蓮宗信者の加藤清正寄進。日蓮上人は色んな著名人から崇拝されてますね。

・加藤清正

1562-1611年。戦国大名。肥後熊本藩初代藩主。
豊臣秀吉の子飼い家臣。賤ケ岳の七本槍の一人。

・藤堂高虎、黒田官兵衛と並ぶ築城の名手。

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池上本門寺 大堂

池上本門寺の中心となる堂は、大堂というみたいですね。
広大な境内に、大きなお堂でした。

で、ここで帰ってしまってはいけません。
実は、もっと大切な場所があるんです。日蓮上人が実際に入滅したその場所です。

大堂の裏側を回ると、左手に下へ降りる階段が見えますのでそこを進みます。

大坊本行寺

日蓮上人入滅の旧跡

ここに実際に日蓮上人入滅の場所があります。中にも入れます。必見です。

そして、この場所こそ池上の地名の由来となっていると思われる、池上宗仲夫妻が住んでいた屋敷。

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